湯道百選

05
石川・山代温泉

あらや滔々庵

ARAYA-TOTOAN

湯は、才能を覚醒させる。


大正4(1915)年の秋、文化人で賑わう山代温泉に、金沢の茶人・細野燕台えんたいが福田大観と名乗るひとりの若い書家を連れてきた。類稀なる才能に温泉の旦那衆たちは惚れ込み、様々な仕事を与えた。当時、熱心に福田を世話していた旦那の一人が、名宿「あらや滔々庵」の15代目主人であった。15代が発注した宿の刻字看板は、18代に引き継がれた今日も玄関で旅人を迎えている。その作者の福田大観は、まさにこの山代温泉で九谷焼の名工・初代須田青華と出逢ったことで陶芸に目覚め、さらに料理への造詣を深めて、後に北大路魯山人と名乗るようになるのである。

 開湯1300年。湧き出す湯量は一日およそ10万リットル。すでに大正時代、ドイツで開催された万国鉱泉博覧会で山代温泉は金賞を受賞し、誰もが一目置く銘泉としてその名を世界に知らしめていた。魯山人がこの地に逗留したのは、そんな湯の魅力に惹かれたことも一因なのかもしれない。

 私は毎年、冬が訪れると「あらや滔々庵」が恋しくなる。加賀の前田家に湯番頭として仕えた“荒屋源右衛門”が宿を開いて800年。18代目主人・永井隆幸氏の伝統と変革のバランスが素晴らしい。そして湯はもちろんのこと、この宿で供されるズワイガニがたまらなく旨い。しかも器は、さりげなく魯山人だったりする。
 贅沢な美味のひとときに酔いしれ、悠久の時を刻む湯に浸かる。すると不思議なことに、美に対する感覚が研ぎ澄まされ、自分の中に眠っていた感性が目を覚まし始める気がしてくる。魯山人の才能を覚醒させた湯は、今もここで滔々と湧き続けているのだ。
 


Text by Kundo Koyama
Photographs by Alex Mouton

あらや滔々庵

  • 〒922-0242 石川県加賀市山代温泉湯の曲輪
  • TEL : 0761-77-0010
  • URL : http://www.araya-totoan.com/
  • 山代温泉は、外湯の湯めぐりも魅力だが、この宿には3つの浴場が用意されている。写真のお風呂は「原泉閣」。ナトリウム・カルシウム泉質のお湯は、腰痛や神経痛などに効能があるそうだ。浴室の右側の壁、および柱の絵は石川出身のアーティスト、眞壁陸二によるもの。