湯は、夫婦の愛を育む。
「やってみなはれ」が、サントリー創業者・鳥井信治郎の口癖だった話は有名である。しかしこれと対で「みとくんなはれ」という言葉が存在することは意外と知られていない。つまり「やってみる」以上に「やりきる決意」こそが、挑戦にとって最も重要なのだ。
群馬県桐生市の「上の湯」は、昭和初期創業の老舗銭湯である。笹倉幸一さんと妻の文子さんが親族から経営を引き継いだのは約40年前。以来、夫婦二人三脚で湯を守り、街の人々に愛されてきた。ところが今年の2月、幸一さんが病に伏したため文子さんは廃業を決意。上の湯の灯火が消えようとしたとき「継がせてほしい」と手を挙げたのは、孫の美紅さんとボーイフレンドの津久井篤さんだった。とは言え、ふたりはまったくの素人。幼い頃から大切な時間をここで紡いできた美紅さんは、どうしても守りたかった。その決意とともにふたりは結婚。先代と同じく妻が番台に座り、夫が裏で湯をつくる。しかし、ボイラーの使い方を学ぼうと頼りにしていた幸一さんが、なんと急逝。釜職人から操作を学び、何とか再開。継承を申し出てから、復活までわずか3カ月。この行動力に驚かされる。
新生・上の湯は、昔ながらの佇まいは残しつつ、番台を男湯と女湯の外に出しサロンのような場所を設えた。地元のパンの販売や図書館のような機能をもたせて交流スペースになればとふたりは考えている。「みとくんなはれ」の意気込みに満ちた銭湯は、きっと若夫婦が老夫婦になるまで輝き続けるに違いない。
Text by Kundo Koyama
Photographs by Alex Mouton
上の湯
- 〒376-0023 群馬県桐生市錦町1-8-11
- TEL : 0277-43-8656
- URL : https://twitter.com/uenoyu_kiryu
- 料金:大人400円 小学生180円
営業時間:14:00〜21:00
定休日:月曜日
JR桐生駅近くにある銭湯。以前は一帯に40軒以上の銭湯があったが、いまでは2軒だけになった。春になると、軒先には藤の花が咲く。「家族みんなで入れる風呂」を目指し、湯はぬるめの42°C。