湯は、
働く喜びを教えてくれる。
物価統制令という勅令をご存知だろうか?第二次世界大戦後のインフレに備え、昭和21年(1946年)、物価の安定を目的に制定された法令である。これにより、米や酒の価格の上限を定め、闇市などで物品が不当に高騰することを防ごうとした。その制定からすでに70年を経過した今もなお、唯一、物価統制令の呪縛から逃れられない料金がある。それが、銭湯の入浴料だ。全国の銭湯が経営難にあえいでいる理由のひとつでもある。
昭和26年(1951年)、三重県伊賀市に開業した池澤湯の主人・池澤良武さんは8年前まで、一部上場の銀行マンだった。ところがある日、父親が動脈瘤破裂で倒れた。死の淵を彷徨う父親の手を握り、池澤さんは思ってもいないことをつい叫んでしまった。
「風呂屋はオレが継ぐから!」
その言葉が届いたのか?止まっていた父親の心臓は再び動き始め、奇跡的に意識を取り戻した。蘇った父親の最初の一言は、
「お前、継ぐのは本当やろな?」
こうして池澤さんは高年収の人生に見切りをつけ、風呂を焚くようになったのである。売り上げから逆算するなら、現在の日給は50円。別にうどん店を経営しながら生活費を稼いでいるため、池澤湯はギリギリ存続している。清掃から湯沸かし、番台まですべてひとりの仕事。
そこまでしてこの湯を守る理由は、ここが「町の寺子屋」だから。ここには子供を叱る大人がいる。70代の老人が90代の老人に生きる術を学んでいることもある。しつけを伝授していく場であり、人と人をつなぎ、何かが生まれる拠点。大変な仕事ではあるが、池澤さんは自由を手に入れ、人間性を取り戻した。
そんな湯に浸かっていると、自分も働くことの意味を再考したくなるのである。
Text by Kundo Koyama
Photographs by Alex Mouton
池澤湯
- 〒518-0846 三重県伊賀市上野愛宕町2892-4
- TEL : 0595-21-4606
- URL : http://www.udonya-ikezawayu.com/bath/
- 料金 :一般400円
時間 :15:00〜21:00(当面の間は、13:00〜19:00)
定休日:水曜
忍者の里・三重県伊賀の風情ある街並みに佇む、昔ながらの銭湯。壁画は、三重で唯一のペンキで描かれた富士山。朝日が昇るときに赤く照らされる富士山を表している。湯あがりのおいしい伊賀・立岡牛乳は乳脂肪分が多く濃厚な味わい。池澤さんが経営する「うどん屋池澤湯」では、立岡牛乳を使った「霧隠れうどん」が看板メニュー。