湯道百選

33.5
北海道・函館

大正湯

TAISHO-YU

銭湯の歴史は家族の歴史。


北海道函館市弥生町。ここに1914年(大正3年)創業の銭湯がある。ピンク色の外壁とレトロな建築様式が目を引く「大正湯」。いま、番台には三代目の小武典子さんが座っている。創業者である、船大工だった祖父が手がけた番台だ。
「船は釘を使ってはいけないので、この番台も穴をあけて、船大工の技術を使って作られたものです。番台は低かったんですけど、現代の人はどんどん身長が高くなってきていて、そのままだと見えてしまうので嵩上げしました」


小武さんは今年で古希・70歳を迎える。銭湯の切り盛りもいまは一人ですべてこなしている。
「掃除も一人でやっています。いまは午後3時から夜の8時までの営業ですけど、もっと時間が長かったときは、掃除を終えて寝るのは2時、3時とかになっていましたね。ここ数年で銭湯が一気になくなってしまって、お客さんから「辞められたら困る」って言われて、辞められなくなっちゃったんですよ。本当はうちが先に辞めたかったのに(笑)」

 大正湯の湯は、重油で沸かしているという。
「昔、わたしが小さい頃は石炭や薪で、もらってきた廃材を燃やして焚いたりしていましたね。下に木造船を作っている造船所があったので、その廃材も使っていました。小さい頃はよく、父と一緒にこの急な坂をのぼって、リヤカーを押して手伝っていました。最終的には石炭になって、そのあと大々的に直すときに、重油に変えたんです」

脱衣所にも、当時の面影がたくさん残されている。
写真右にある鏡は、開店時の昭和3年からずっと使われ続けているもの。当時の日本には大きな鏡をつくる技術がなかったため、舶来の高価な品だという。

船大工の技を生かして銭湯を建てた祖父。そして壁を明るいピンク色に塗り替え、町の人や観光客にも愛される銭湯に育てた父。銭湯の歴史は、そのまま一つの家族の歴史でもある。小武さんは今後、80歳までは番台に座りたいと語ってくれた。
「常連さんは80代、90代、ほとんど私より年上の方ばかりです。番台で常連さんとお話をしている時に、いちばん幸せを感じますね」


Text by Chako Kato
Photographs by Alex Mouton

大正湯

函館駅から路面電車に乗り、終点の「函館どつく前駅」で下車。坂道を5分ほど登ると、ピンクの外観が見えてくる。入り口は雪国ならではの二重構造。暖簾の位置は屋外に出さず、開店中でも外扉の内にある。船大工をしていた初代は木造船のメンテナンスのため同乗し、ロシアへ行っていた。初代が見た当時のロシアの景色が、参考にされている。