湯は、心を洗う。
宮島といえば厳島神社が有名だが、その後方に聳える霊峰・弥山の存在を忘れてはならない。806年、弘法大師・空海は宮島から放たれる霊気を感じ取り、弥山に御堂を建て修行に入った。その時に起こした火が、山頂近くの弥山霊火堂でいまも燃え続けている。通称「消えずの火」。その火を拝みたくて弥山に登った。1200年も燃え続ける火には巨大な釜がかけられている。錆色の湯を杓ですくい口に含むと時間の味がした。水を湯に変える火が、神に思えてくる。余韻を心に遺しながら、麓で160年以上も旅人を迎える「岩惣」の湯に浸かった。
もみじ谷に沿うように建つ岩惣の最も奥にある離れ。昭和24年に建てられた数寄屋造りの平屋である。2018年に改装されたが、浴室の大正浪漫漂う設えは当時のまま残されている。
とにかく湯に浸かって眺める景色が格別である。部屋の湯は温泉ではないが、あの火が宮島の水を沸かしていると妄想すれば十分に有り難い。二方向に広がる大きなガラス窓を開け放つと、弥山の原始林から吹き降りてくる風が頬を撫でた。目をつぶり、ぬるめに入れた湯に身を任せる。秋になると真っ赤に染まるもみじ谷を、空海も歩いたのだろうか?と、窓の外で草を踏む音が聞こえた。そこにいたのは、一頭の鹿。宮島では神の使徒と呼ばれる鹿が、心に伸びた雑草を食みにきたようだ。
終戦の頃に宿泊した大茶人はここに「洗心亭」という名を与えた。まさにこの風呂も、心を洗うための場であった。
Text by Kundo Koyama
Photographs by Kei Sugimoto
岩惣
- 〒739-0522 広島県廿日市市宮島町もみじ谷
- TEL : 0829-44-2233
- URL : https://www.iwaso.com/
- ¥25,450〜
(2食付き、2名1部屋利用時1名料金)
宮島のフェリー到着港からクルマで約5分の場所の渓流沿いに岩惣はある。1854年に奉行所の許可を受け、茶屋を設けたのが岩惣のはじまり。
離れの客室風呂以外にも「日の出湯」と「月の湯」という名の2つの大浴場があり、ともに単純弱放射能冷鉱泉である「若宮温泉」がひかれている。